『甑(こしき)』の名のつく姓氏、神社その他・・・下甑村郷土誌より
■甑氏
◆下甑村大字手打、和田家所蔵の古文書「新撰系譜」より抜粋
 「紀姓 平山氏之一族、甑、市成、平瀬、平松、松元などにて、その他にも有之、平山氏は、城脇石清水善法時の一族、
 正宮之御社殿支配の為めまかり出で、直に帖佐の平山と見得候。
 其他帖在の新正八幡を創建云々とある。曽孫 平山五郎衛門嫡家の由、一族中より証文出申候。
 福昌寺奉加帳にも、平山氏並に甑その外一族云々とある。甑氏は帖佐山田の内甑を領し、甑と号し候。
 永禄のころ(1560年)甑兵部左衛門、豊州に相付、福島へ罷移軍労仕候、それより以来相得申候。
 平山八右衛門は甑氏の子孫にて候、平山伝次郎は、八右衛門の二男にて候。
 永享十年(1437年)の秋、福昌寺仏殿奉加帳に甑美作守義武氏の名がみえている。」
※なお『姶良町郷土誌』93項に甑氏系図が記録されている。
■甑どんの墓
 姶良町中甑にあって、甑美作守武義のものであるという。
 応年六年(1399年)二月二十四日の銘がきざまれ、五輪塔二基、遺碑塔一基、宝院塔一基、地蔵像(石造)一体ある。
 祭日を四月三日に定められている。
■甑城(現名古城『ふつじょう』)と呼ばれている
 姶良郡中甑、甑どんの墓にある。
 甑越後守武秀は、この城に拠り北山一帯を治めていた。
■甑大明神
「薩隈日地理纂考十五ノ巻」には、姶良郡帖佐郷鍋倉村、正平年中(1300年代)建立の棟札を納む、祭神、由緒伝わらず、とあり
「姶良町郷土誌」には、甑越前守武秀が氏神として甑大明神を帖佐の宇都に祭った。
 古い棟札に正平年中祭ると書いてあったことが三国名勝図会に見える。
 神社は今日なく、どこに合祀されたかわからないが、島津義弘が帖佐の御屋地にいたころは、五社参りの一社として篤い崇敬を受けていた。
 祭神は、天神七代、地神五代で、神体は高さ一尺余の木像二体で祭りは十一月一日であったと調査由来記に見える。
■内甑、中甑
・姶良町内、北山にある集落である。
・内甑部落に内甑姓、中甑部落に中甑説教所(本願寺派)
・姓氏(苗字)に、松田、坂口、小倉、中村、染川、中野など本村にある苗字と同姓が多く、紋章も、違い鷹ノ羽、蔦紋、木瓜紋、田字草紋、梅、桔梗紋が多い。
 (内甑、中甑の墓地石塔について、昭和四十七年三月二十九日調査より)
■甑岳
 標高1301m、霧島国立公園区域内、宮崎県側、韓国岳の北方にある。